必ずしもSMに痛みが必要なのか?

最近は本当にSM道具を使わないセッションが多いです。
コスチュームフェチは多いですが。
SMに鞭などの痛めつける道具は必ず必要なのだろうか?
痛めつけることで感じる・痛めつけられ感じる『サドマゾ』の世界で言うと確かにそれは必要なものなのかもしれません。
でも私は全然必要だと思わない、近頃は特に。
最早私が今在るところはSMではないかもしれない、とすら思います。
でもそれでいい。
別にSMだとかフェチだとかいちいち括ってそれに納まる必要もないと思うし。
マゾが私をちゃんと興奮させてくれれば 必ずしも痛いことをする必要なんて全然ない。
満足いく姿を見せてくれればそれでいい。
痛めつけなくたって、襲い来る快楽に飲まれる苦しさだったり、崇拝やら恋慕やら葛藤やらの心の苦しさで、狂いそうなくらいに悶えてる姿が見れればいいのよね。
当然そういった姿を見られなければ強行手段として痛めつけることが必要な場合もあります。
私自身のフェチ嗜好が強いせいもあるかと思いますが、
私は大人の男が精神的・肉体的に心の底から悶絶してる姿やその心情が たまらなく好きなんだと、近頃つくづく思います。
だから沢山いじわるしたり、わざと刺激したり、しつこくしつこくいぢくったり、直前でやめたり、もうダメって言ってるのにやめなかったり、誘惑したり、惑わせたり、するのが好きなの。
だから沢山私の前で悶えて、ネ!!!!!!!(強迫)